占星術は確認する作業に適している
占星術は確認する作業に適している
と私は思います。
占星術は古代からの叡智の集積物です。こんな長い年月をかけて、やっとここまで人類は来れたのです。
何度も言う通り、私たちの思考というのは、本当に閉鎖的で処理能力に長けていないのです。
そんな中、一人の人間が占星術を読めますと言って、自分が古代からの叡智を読み解いてこれが正しいと言うこと自体に疑問を感じるのです。
そんなに簡単なのでしょうか?
私はそうは思いません。
占星術は膨大な情報量があります。単純な思考の人間が全て完璧に処理などできないのです。
大雑把な未来の予測はできても、それを端的、的確に予言として使う人っていないですよね。
3.11東日本大震災と占星術
3.11の東北の大地震の時、それをはっきり予言した占星術師はいたでしょうか?
3.15に木星♃と土星♄と冥王星♇がシビアに特別な配置を描くことを見ていた人はたくさんいるでしょう。
占星術の初心者でも分かる配置です。
なのに、その前後の期間を含めて、ノストラダムスの大予言並みに、大騒ぎにならなかったのはなぜでしょう?
これらの星の影響力の強さと、この配置の珍しさは占星術師にはすぐ分かると思います。
今までにない何か崩壊するものがありそうだ。そうしか多くの占星術師には分からないのです。
これは何かありそうだ?そう読むことはできたとしても、東北に未曾有の大地震が起きるとは分からなかったでしょう。
大地震が起きたからこそ、その現実に直面し、その時の配置を読んで、そうだったのか?まるで◯◯が△△だから地震とも読めるのかも?と検証していく作業を皆がしているのです。
そして、事が起こった後に、確かにそうとも読める!と皆がいうのです。
これらから分かることは何でしょうか?
占星術は自分の足取りの確認や、何かあった時に大丈夫だと確認するツール
私はそう思います。
今自分が歩んできた道、やってきたこと、それがこれからの未来に向かって繋がっているんだ、そう気づくことができるのです。
道に迷ったとき、ふと振り返りたくなることがあるかもしれません。
あれ、これでよかったのかな?
正しく進んでいるつもりだったのに、進めなくなるようなことがあって、方向が間違っていたのかな?
そう思うことがあるかもしれません。
そういう時に、占星術を使うと、確認作業ができるのです。
この道で合っていたんだ!このトラブルだって、自分が乗り越えるべき成長するための課題で、
いわばゴールに向かう途中にある障害物レースみたいな、障害物を超えて成長し、ゴールに向かうものかもしれません。
逆に、大きな障害で方向転換する必要を感じる時もあるでしょう。
その時には、たしかに方向転換を促される変容させられる出来事だった、そうはっきり分かるでしょう。
そのように使うならば、正しく伝えることができるのではないでしょうか。
そして、そうだと気づくのは占星術師ではなく、自分自身が確信する事が一番大切なのではないでしょうか。
もうすぐ障害物がでるよ!!と占星術師に曖昧に予言されることに意味がないということです。
そんな風に言われたら、ゴールに向かっている足取りは重く、その歩みは止まりそうになってしまいませんか。
怖いじゃないですか。
障害物がこの先ありそうだ、ビクビクして、恐る恐る進んでいたのに、
いつになっても現れたか気づかない程度のものだったり、
いざ障害物に直面してみて、なーんだ、心配して損した!!って思う程度のものかもしれません。
3.11のように、何かありそうだと思っても、正確にいつどのような形で出たのかなどわからないのですから。
恐れを抱いで歩みを止める必要はないのです。
未来に恐ろしい障害物があるかもしれないなどと、想像しなくていいのです。
何か問題に直面した時に、間違っていないと確認して、その超え方を知ることができればいいのです。
そうやって繰り返していくと、自然と自分で自分を内観して、体感的に、感覚的に自分で確認できるようになり、占いは必要ではなくなります。
本当は自分で確認して、答えを出す事ができるのです。
正しい答えは自分の中から出すことができるのです。