真実を知るツールはたくさんある
私たちは真実を求める勇敢な登山者
私たちは、人生という旅路の中で、
なぜ生きているのか
愛とは何か
なぜこの人と出会ったのか
様々なことを考えながら日々生きているように思います。
宇宙というのは無限で広大、私たちの理解をはるかに超えるものです
真実を追求する挑戦というのは、様々な方面からなされています
それは一つの山の頂上を目指す登山と似ている気がします。
様々なルートがありますが、それぞれ、この道が良いと決め、真実という頂上に向かって歩いていくのです
頂上までの道はたくさんある
ある人は、スピリチュアルという道から真実を追求しよう
ある人は、物理や科学という道から追求しよう
ある人は、歴史という道から追求しよう
ある人は、誰も通ったことのない道を開拓しよう
こんな風に、様々な方角から真実という頂上を目指して追求しようとするのだと思います。
どれが正しいやり方でしょうか?
目指す頂上が同じならば全ては正しい
「真実」という頂上を目指す旅路は、登り口や経路の違いであって、どれも正しいのだと思います。
なので、スピリチュアル的視点から追求している話も、科学的に追求している話も、今まで聞いたことないようなびっくりする新論法も、どれも真実を目指している途中の話であり、どれも正しいのです。
それを、スピリチュアルは科学で説明できないことである訳ない、とか、聞いたことのない新論法を理解しようとせず突き放すのはおかしいのではないかと思います。
私の周りは、科学者になった友人もおり、宇宙物理学者として世界で活躍している人もいます。
そんな友人は、よくこう言っていました。
「物理で説明できないことがまだたくさんあって、日々、研究して解明していくのが面白い。本当に人間って小さい存在だなって思う。神様って本当にいるんだろうなって思うよ。それほど、宇宙って知れば知るほどすごいんだ。」
スピリチュアルを科学的でないと否定する人は、案外、科学を知らないのかも知れません。
知ったつもりで、実は、山のふもとで、各方面から頑張って登っている人たちをのんびりと眺めながら、真実の探求という山に入りもせず、登山者たちを非難しているのではないでしょうか?
皆さんは、どこにいますか?登山者ですか?傍観者ですか?